ランサーズのメンバー達が、横浜スタジアムでの演技に向けて緊迫した練習を続けていた頃、アマチュアスポーツの世界で、ある一時期燦然と輝いた巨星がまたひとつ、その姿を消しました。
高校ラクビーの全国大会「花園」に16回出場。優勝、準優勝それぞれ2回。'93年、'94年には、戦後史上3校目となる連覇を成し遂げた、神奈川県立相模台工業高校ラグビー部です。
神奈川県では、子供の数の減少に伴い、数年前から、県立高校の合併・統合をすすめています。「台工」も来年度、他校と合併して新たな歴史を刻み始めます。
相模台工業高校ラグビー部として臨んだ最後の公式戦。神奈川県予選の準々決勝、前半途中から主導権を握られ、日大藤沢高校に8−33で敗れました。そしてその瞬間――かつて全国にその名を轟かせた名門ラグビー部が、ついにその歴史を閉じたのです。
私が神奈川県立高校の英語科の新任教師として初めて教壇に立った頃、「台工」ラグビー部はすでに、全国的に有名な名門チームでした。全国高等学校ラグビー大会で花園のグランドを駆け回る黒いジャージーの選手達のパワーあふれるプレイに興奮し、心躍らせ、胸を熱くしたものです。その活躍には、ラグビーに関しては全くの素人である私でさえ、大きな勇気と希望をもらいました。そしてまた、同じ公立高校の教師でありながら、全国大会出場を果たすほどの有力チームを育てあげられた顧問の先生に対して、大きな尊敬の念を抱き、先生は私の目標でもありました。
県立高校で運動部を指導する教師は、当然、他の先生方と同じように、授業や校務に関わる仕事をまず第一に優先しなければなりません。部活指導ははっきり言って、二義的な仕事なのです。練習を見ることができるのは、様々な会議や事務作業などの通常の業務終了後、5時あるいは6時を回った頃になってからです。6時半頃には生徒を下校させなければなりませんから、指導時間は驚くほどに短いものです。当然、日頃足りない指導を休日に行うようになるわけですけれど、教師にもそれぞれ家庭や生活もありますし、職場以外での背負うべき事も山のようにあります。平日の仕事で疲れ果てた体にむちを打ち、休日練習の指導にむかうのが、さすがに苦痛に感じられる時もあります。もちろん、時間外や休日に部活指導をしたからと言って、見合った特別な手当がつくわけでもありません。ただ、そのスポーツそして生徒達への愛情が支えているのです。
今、公立高校では運動部の顧問に自ら進んで、そして喜んでなる人がとても少ないのが現状です。また、顧問がいたとしても、充分な指導をすることができなければ、生徒達は自主的に練習をするしかありません。
その結果、近年スポーツにおいて公立校は私立の名門校に、とても太刀打ちができなくなりました。でもそれは、今の公立高校の部活動をとりまく環境から考えれば自然の成り行きと言えるでしょう。しかも、県立高校の教師がひとつの学校に勤務することのできる年数には上限が設けられています。教師を続ける限りは転勤を繰り返さなければなりません。手塩にかけて育て上げた生徒たちとの別れは、まさに「断腸の思い」です。言葉に言い尽くせない悔しさとむなしさで、胸が張り裂けそうになります。
どんな名門チームであっても、所詮は高校生のチームです。厳しく指導してくれる人や、励ましてくれたり、叱咤激励してくれる人がいて、初めて大きな成長をしていくものです。「台工」ラグビー部も、その例外ではありませんでした。育てられた顧問の先生が転勤され、有力選手が私立の名門校に集まり、そして部員の数も減り、とうとう'96年度以降は「花園」に登場することはなくなりました。
新聞の神奈川版に掲載されたラグビー部の部員たちの涙にくれる写真は、とても切なく悲しいものでした。私はその写真を見ているうちに、みるみる視界が歪んできて、思わず目をそらせてしまいました。――彼らの姿と茅ヶ崎高校チアリーデイング部員とがオーバーラップされてきてしまったのです。
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