「本当に楽しかった。ありがとう。」
「また来年も一緒にやらせてね。」
「これからも応援しています。」
参加をしてくださった方たちとのお別れの時、皆さんが様々な暖かな言葉をかけてくださり、胸が熱くなりました。でも、メンバー達の手前とその後の演技の出番もありましたので、一生懸命に我慢をしていたのですが
――「大変でしたね。負けないでくださいね。」
その言葉を聞いた時、不覚にも一粒の涙がこぼれ落ちてしまいました。
メンバー達や他の方々に気づかれないように、急いで涙を拭い取りました。
ランサーズにとって、昨年は悲しく苦しいことばかりの1年でした。高校生のチームが夏に全国優勝、日本一になったという大きな喜びがありましたが、悲しみや悔しさの方が比較にならないほどに多かったのです。自分達の力や努力だけではどうにもならない現実。大人の世界の現実を知るには、まだ幼い高校生達の気持ちを傷つけることなく、逆にどう高めていくか。彼女達を指導すると同時に守る立場にもある私にとっては、毎日がその解決の糸口を探る葛藤の日々でした。時には、何もかも投げ出したくなる事もありました。眠れぬ日々を過ごし、お酒の力で現実から逃れようとしたこともありました。自分で自分がコントロールできず、過食と拒食を繰り返しました。出口のない暗闇の中にいるような毎日だったのです。
でも、私には、守らなければならない命と、双肩にのしかかる多くの責任がありました――自分のふたりの子供、ガンで闘病中の父、チアリーデイング部の子供達、ランサーズのメンバー達、そして、茅ヶ崎高校2年3組の生徒達。その重圧と現実の苦しみは、いつしか私の心ばかりか、肉体をもむしばんでいました。
ある日突然、自宅で倒れ、病院に運ばれました。
そこで医師から告げられた病名に私は奈落の底に突き落とされたような気がしました。私の子供達には父親がいません。
「今、もし、自分が死んだら…いや、死ねない!どうしても生きたい!」
長く苦しい病との闘いでしたが、幸いにも私は病気から回復することができました。
でもその後にもう一つの闘いが待っていました。左半身の麻痺です。
「もう二度と踊れないかもしれない。」――今でもその時のことを思い出すと、手に汗がにじんできます。
そんな精神的にも肉体的にも苦しい時期に、私はある方の励ましによって、生きる勇気を与えていただきました。前湘南シーレックス監督の日野茂さんです。
監督(私は今でも、そう呼ばせて頂いております)は、ランサーズが2002年、2003年と横浜ベイスターズの試合で演技をさせて頂いていた頃からずっと、私達を遠くから見守っていて下さいました。自分の夢や希望を熱く語る(生意気な)私の話を、優しく暖かな微笑みを浮かべながら、静かに聞いてくださり、そして時には、少ない言葉で的確にずばりとアドバイスをしてくださいました。
「あきれめないで頑張っていれば、必ず道が開ける。」
他の人に言われたのならば、あれほどまでに、私の心に響くことはなかったと思います。私など想像もできないような厳しい世界にいらして、幾多の苦難を乗り越えられてきた監督の言葉だからこそ、そこには私の心を揺り動かす大きな力がありました。
もう一度頑張ってみる勇気を監督から頂いた時に、天から授かったように頂いたのが、マスターズリーグでの演技のお話だったのです。監督や、新しいチャンスを下さった方々に「ご恩返しをしたい」、心から、そう思いました。
1月2日の東京ドームには、男性も女性も若い人もご年配も、そして小さな子供達までもが楽しそうに心をひとつにして踊る姿がありました。会場の人々の心がひとつにつなぎとめられる暖かで強い絆を感じることができました。
「男の子が野球選手にあこがれ、女の子がチアリーダーにあこがれて、家族みんなでスタジアムに足を運ぶ。
そんなスポーツ文化が日本でも培われるために何かをしたい。」
――私が、生意気にもかつて監督に申し上げた、私の夢の光景を見る事ができたように思います。
その日、監督がスカイパーフェクトTVの実況中継で解説をなさっていたことを、ランサーズを応援してくださっている方からのメールで、私は翌日になって知りました。
ランサーズが出演することをお知りになりながら、あえて静かに見守って下さった監督。その優しい眼差しとお声が思い出され、なんともいえぬ暖かさが胸に広がると同時に、次から次から涙が溢れ出て止めることができませんでした。
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