神奈川県立茅ヶ崎高校では、3月3日、卒業式が行われました。
ランサーズの高校3年生5人も無事に卒業です。
卒業式の最後、そのクライマックスでは、(どこの学校でも同じかもしれませんが)茅ヶ崎高校校歌を全員で歌います。
茅ヶ崎高校にもう10年も勤務している私は、よく考えてみると、茅ヶ崎高校の校歌を、自分の母校のどの校歌よりも長い年月、歌い続けているのです。歌うたびに10年間の様々な思い出がよみがえってくる、大切な歌となりました。
前日の予行練習。私は、担任をしている2年3組の生徒達と一緒にいました。さあ、校歌斉唱。
ところがーーーー私のクラスの生徒達はほんの2・3人の生徒を除いて、歌う者がいません。
帰りのHRで、それを注意すると、
「だって知らないんです。」
私のクラスは芸術で書道を選択している生徒達のクラス。高校に入った時から、音楽の授業を受けたことがありません。校歌を習う機会がなかったのです。
自分の母校の校歌も知らないで卒業をするなんてーーー。私は、練習を開始しました。そして、子供たちに忘れられないひとつの思い出を話して聞かせました。
私が茅ヶ崎高校に赴任をした年の春。私は野球を応援する女子の応援チームを作るようにと頼まれました。
その頃、茅ヶ崎高校には、学校崩壊の頃の傷跡がまだまだ色濃く残り、教師が一丸となって、学校の建て直しに、力を尽くしていました。
一度、こわれてしまった高校で学ぶ生徒達に
「自分達の学校に誇りを持ちなさい」
などと言ったって、生徒達には、それが、冗談のように聞こえてしまいます。
「誇り」とまではいかないにしても、少なくとも、
「自分という存在が、茅ヶ崎高校という集団の中にあるという事実を喜びと感じてほしい。」
それが、私たち、教師の願いでした。
「野球の応援をみんなで行こう」、
と生徒達に勧めました。(もちろん、野球に限らず、どのようなスポーツでもよかったのですが)多くの生徒が野球場というひとつの場所に集まり、みんなで自分達の学校を応援することで、ワクワクするような感動を味わってほしかったのです。
私も、にわかづくりのチアリーダー達を引率して、野球場に行きました。
生徒達も、そして、仕事をやりくりして休みを取り(勤務時間中ですから、職場を離れるには休みを取らなければならないのです)三々五々集まってきた教師達も、一生懸命に応援をしました。
ピッチャーの子が投げる白球が、まるで、ピンポン球が飛んでいくように軽々と飛ばされていきます。中学生の頃から、期待され、いくつかの私学の強豪校から声がかかっていた才能のある生徒だと、野球部の先生から聞いていました。それなのにーーー。
大差をつけられての敗戦でした。試合後、涙をこぼしながら相手校の校歌を聞いている野球部の生徒達の姿が悲しくて、寂しくて私も思わず、涙がこぼれてしまいました。
次の年も、また茅ヶ崎高校野球部は、夏の神奈川大会で1回も校歌を歌うことができませんでした。
「勝って、みんなで校歌をうたいたい。」
それが、野球部と、そして、野球部と同じグランドで毎日、練習をしているチアリーデイング部の生徒達の悲願となりました。
「相模灘、潮風かおる、茅ヶ崎よしやわが学び舎。」
グランドにいる野球部の部員、スタンドにいる野球部の控えの選手。チアリーデイング部のメンバー、そして、スタンドで声をからして応援を続けたたくさんの生徒達。茅ヶ崎高校教職員。みんなが泣いていました。あんなに歌いたかった校歌だったのに、涙でうまく歌えません。
悲願の勝利の日のことは、今でも、はっきりと覚えています。
そして、きっと、いつまでも忘れることはないでしょう。茅ヶ崎高校を去った後でも。
翌日の卒業式。2年3組の子供達は、覚えたばかりの校歌を一生懸命に歌ってくれました。私も大きな声で歌い始めました。でも、歌っているうちに、胸に熱いものがこみあげきて段々に歌えなくなりました。一緒にすごしたたくさんの子供達の顔が浮かんできてしまったからです。
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