「妊娠を継続するか、ご家族ともよく話し合って決めてください」
今春、中学校に入学した息子が私のおなかの中にいた時、医師からこう言われました。
チアリーデイング部の顧問、英語教師、主婦、そして2歳になったばかりの幼い娘の母として、忙しい毎日をすごすなかで、私は自分の体が深刻な病に犯されていることに全く気がついていませんでした。と、同時に妊娠していることにも気づいていなかったのです。
体が重くて、息苦しくて、とうとう我慢ができず、ある日、帰宅途中、家の近くの小さな病院に行き、薬を頂いて帰ってきました。その薬が、後に私と私の家族をずっと苦しめることになるなんて、その時は思ってもみませんでした。
私のおなかの中で元気に動き回る小さな命を、自分の意思で葬ってしまうなどということは、とてもできませんでした。
「産みたいと思います。」
「そうですか。どのような障害があらわれようと、逃げ出さない覚悟をしておいてくださいね。」
産まれてすぐに出た強い黄疸、小さな体を震わせ、目に涙をうかべながら、し続ける激しい咳。
3歳違いの娘とは大違いの、とても弱くて、小さな赤ちゃんでした。息子が泣くたびに、そして、苦しがるたびに、私は、息子の小さな体を抱きしめて、一緒に泣いていました。
なかなか寝返りをうたない、立たない、歩かない、言葉が出ない――成長するごとに、息子の、他のお子さん達との差は大きくなっていきました。
「ママと一緒にダンスをしようね。」
その頃、私は息子を背中におぶって、ランサーズの練習を見ていました。背中に息子の体温を感じることができるのは、とても幸せなことでした。そして、音楽にあわせて、バタバタと動かす息子の脚のリズムが、言葉では表現できないほど、心地よくて、心躍るものだったのです。
息子は、ランサーズの一番の理解者です。一生懸命に応援しながらも、時に演技について厳しく(?)批評をしてくれます。メンバー達の、そして、チームのちょっとした不調にも、気づき、「よくなかった」と言います。ランサーズの成長に息子は、無くてはならない存在でした。と同時に、息子の成長にも、ランサーズは無くてはならない大切な存在だったのです。
息子が小学校の4年生の時のことだったと思います。茅ヶ崎市で開催された小さな剣道大会に出場をしました。息子の初戦の相手は、茅ヶ崎市の剣道家の間では、知らない人のいないくらに有名な剣道一家の長男。私の息子になど、とても勝算はありませんでした。
「たろう、コテ!」私と一緒に観戦をしていた娘が、思わず叫びました。とても強い相手ではありましたけれど、一瞬の隙があったのです。――もし、コテを打っていたならば。
「なんで、コテでねらわなかったの?」ずっと、メンを打ち続けた息子に、聞きました。
「だって、ママが喜ぶと思ったから!」
その大会の前の試合に、息子は勝っていました。
「引きゴテで。」勝って喜んでいる息子に向かって、
私は(今、思い返してみると、息子に対して申し訳ない気持ちになるのですが)
「男の子なら、正々堂々とメンで一本を取ってきなさい!」
そんな言葉をあびせていたのです。
剣道のことなど、何もわかっていない素人なのに、本当にひどいことを言ってしまったと、今では深く反省をしています。
どんなに苦しいことがあっても、どんなにつらい思いをしても、決して逃げ出さないで真正面からぶつかっていく、たとえ少しづつでも前に進み続けるーーーそんな強い男の子になってほしかった。たくさんの苦難を背負って産まれてきた息子に、私は母としての私の願いを伝えたかったのです。
小さな頃から、私の背中で、ランサーズの厳しい練習を見てきた息子。私にどんなに怒られても、練習がどんなにつらくても、逃げ出さないで頑張り続けたメンバー達の姿を、息子は間違いなく見ていました。
私を喜ばせようと、1歩も引かずに前に進み続けた息子を、私は思わず強く抱き締めました。涙がこぼれて仕方がありませんでした。
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